都々逸(どどいつ)とは何か
都々逸が、七七七五の音数律からなる短詩であることは確かだが、それ以上の決まりはあるのだろうか。
都々逸を都々逸たらしめるものは、その音数律以外にあるのだろうか。あるとすれば、それは何か。
つまり「都々逸とは何か」について、調べたことや考えたことを、このブログで述べていきたい。
まずは、私が都々逸に関心を寄せるようになった経緯から書き始めることにする。関心を持った経緯が分かれば、私が都々逸のどんな面に興味を持ったのかも分かり、どんな角度からアプローチを試みようとしているのかも察しがつくはずで、その方が理解しやすくなると考えるからだ。
1.都々逸との出合い
私が都々逸に興味を覚えるようになったのは、某所で行われていた都々逸作品の選考発表会の場に、思いがけず居合わせることになったことをきっかけとしている。いつのことか、はっきりとは覚えていないが、2016〜2017年くらいだったと思う。
それより以前から、都々逸というものがこの世にあることは認識していたし、知っている都々逸もほんの少しはあった。そのため、都々逸について漠然としたイメージくらいは持っていたが、詳しいことは何も知らずに、私はその選考発表会の場にいた。
あらかじめ都々逸の作品を募集して、幾人かの選者が既に選考を済ませ、選に入った作品の発表と表彰を行う場のようだった。
私がその会場に入ると、入選した都々逸作品が次々に詠み上げられていたように記憶している。短歌や俳句では、そういう詠み上げを披講と呼ぶようだが、都々逸の場合も披講と呼ぶのかどうかは知らない。
さて、問題は詠み上げられていた入選作品の内容である。私はそれを聞きながら「都々逸というのは、こういうものとは違うのではないか?」と、疑念を抱いてしまったのである。
すべての作品ではないが、詠み上げられるものの中に、私が漠然と抱いていた都々逸のイメージとは、かなり趣が異なるものがけっこうあった。
たとえば「孫の成長を喜ぶ祖父の気持ち」を詠んだものや、「高校球児が甲子園でひたむきに頑張る姿への感動」を詠んだものなどがあったのだ。
俳句や短歌でなら、そういったことを詠んでいるものを聞いたことはあったが、「都々逸はそういうものではない」と、その頃の私は勝手に思っていたようだ。
その頃の私がどのように都々逸を捉えていたのか、はっきりとは覚えていないが、おそらく「男女の恋の機微を歌った艶っぽい感じのもの」とか、「諧謔味をもって社会を風刺する」ようなものが都々逸だと、何となく捉えていたのだろう。
さらに、正直に白状すると、その時の私は「孫の成長を喜ぶ祖父の気持ちや、高校球児が甲子園でひたむきに頑張る姿への感動は、俳句や短歌で詠めばいいのであって、都々逸でやる必要はないだろう。都々逸としては面白くない」と、何も知らないくせに、そう思ってしまったのである。
今になって思えば実に浅はかなことだが、思ってしまったのだからしかたない。
それをきっかけに、私は都々逸とは何か、どういったものが都々逸なのか、調べたり考えたりするようになったのである。また、見よう見まねで都々逸らしきものを作るようにもなった。
別の言い方をすれば「自分が本来の都々逸だと思うものを作ってみよう」と、考えたのである。
しかし、すぐに「そもそも都々逸ってどういうものだろう?」という疑問にぶち当たってしまった。そこで、都々逸とは何かを調べながら「なんとなく都々逸っぽい」と自分が思うものを作るようになっていった。
2.音数律が合っていれば都々逸なのか
辞書で「都々逸」を調べると「俗曲の一つで、七・七・七・五の音数律に従う定型詩であり、男女の情愛を詠み込んだものが多く、三味線の伴奏で唄われる。江戸末期に流行し、都々逸坊扇歌によって大成された」と、いうようなことが書いてある。
上記した都々逸の選考発表会の場に居合わせる以前に、私が持っていた漠然とした都々逸のイメージも、これに近い。ただし都々逸坊扇歌という人は知らなかった。
その後、少しばかりの本を読んだりして「男女の情愛を詠み込んだもの」や「諧謔味をもって社会を風刺する」ものだけが都々逸ではないことを知った。
もっとも、辞書の説明は間違ってはいないのだろう。確かに、辞書に書いてあるようなものが都々逸の本流であるように思う。しかし、それだけでは不十分な説明であることは明らかだ。
音数律にしても、七・七・七・五の音数律でできていてるだけではない。その七・七・七・五は、(三・四)(四・三)(三・四)(五)で構成される。最初と三番目の七は(四・四)で八音になってもよい。二番目の七は(二・五)なってもよい。また、先頭に五が加わり五・七・七・七・五で構成される「五字冠り」と呼ばれる形式もある。
詳しくは既に下記のリンク先にまとまめてある。
都々逸の音数(都々逸の基礎 その一)
しかし、「男女の情愛を詠み込んだもの」や「諧謔味をもって社会を風刺する」ものだけが都々逸ではないとしても、音数律が都々逸と同じであれば、どんなものでもすべてが都々逸になるわけではないだろう、と、私は考えた。
同じ七七七五で構成されていても、都々逸だと呼べるものとそうでないものがあるはずだ。
たとえば、昭和41年に佳作に選ばれた「交通安全スローガン」を例に挙げてみよう。
いちごはストップ みかんはちゅうい
メロンは安全 さあ守ろう
最後の「さあ守ろう」が六音であるが、そこはあまり気にせず、「さあ守ろ」の五音にしても成り立つので、そう改変してみる。
いちごはストップ みかんはちゅうい
メロンは安全 さあ守ろ
これで(四・四)(四・三)(四・四)(五)となり、都々逸と同じ音数律になる。
では、これは都々逸だろうか。都々逸と呼んでいいものだろうか。
私は何となく「都々逸ではない」と、考えたくなる。ただし、その明確な根拠は説明できない。
「交通安全スローガンだから」という理由だけで「都々逸ではない」とは断言できないだろう。都々逸として作ったものを交通スローガンにしてはいけないという決まりはないのだから。
では、都々逸と、そうでないものを分ける基準はいったいどこにあるのか。
そこで、短歌や俳句の場合はどうなのだろうかと考えてみる。短歌は五・七・五・七・七であり、俳句は五・七・五で伝統的には季語がなければならないなどの決まりがある。それ以上の決まりがあるのだろうか。
おそらく、あるのだろう。私はまったくの門外漢で、短歌や俳句を師に就いて学んだこともないし、句会やそういった類のグループ、団体にも属したことがない。しかし、短歌や俳句には愛好団体などがあり、流派のようなものがあることは何となく知っている。
あくまでも、そこからの想像だが、おそらく、団体や流派によって、音数律以上の決まりはあるのだと思う。
決まりと言えるほど強い性質のものではないかもしれないし、明文化されているようなものではないかもしれないが、短歌や俳句だと呼べる基準を満たしているかどうか、団体や流派ごとに何らかの基準で判断されると思う。あるいは、師匠に就いて習っていれば、その師匠が判断するのだと思う。
結局のところ、詩情の有無だとか、格調の有無などを判断基準にすると、個人や団体によって見解が違ってくることになるだろう。
都々逸も同じかもしれない。ある作品を内容的に都々逸と呼んでいいのかどうかを、万人が納得するような理屈で説明するのは難しい。
つまり、団体に属したり、師匠に就くことなく都々逸を作り続けようと思えば、自分自身で学び研究し、考えを重ねながら自分なりの判断基準を見つけ出すしかないのだろう。
いちごはストップ みかんはちゅうい メロンは安全 さあ守ろ
を、都々逸と呼んでいいのかどうか。今の私にはまだ決めることはできない。
都々逸と呼べるものかどうか、それを決める自分なりの判断基準がまだ定まっていないからだ。
ただし、必ずしも「スローガンや標語は都々逸ではないとは言えない」と考えている。このことについて、具体例を挙げて述べてみることにする。
3.ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする
ザンギリ頭を 叩いてみれば
文明開化の 音がする
おそらく明治時代の初頭に作られたと思われる有名なものだが、これは都々逸だろうか。音数律は(四・四)(四・三)(四・四)(五)である。
私はこれを「西洋人の猿真似で、ザンギリ頭になんかにして、文明開化などと浮かれている世相を『頭を叩いた音』というユーモアで表現し風刺、皮肉ったフレーズ」ととらえていた。
はたしてそういった諧謔味あふれる都々逸なのだろうか。
始めて見たのは中学か高校かの日本史の教科書だと思うが、記憶は曖昧で、はっきりとはしない。そして、その当時、これが都々逸だと教わった記憶もないし、都々逸だと認識した記憶もない。
そもそも、都々逸の存在そのものを学校の授業で教わった記憶もない。その当時の私は、これを明治初頭の流行語の一つくらいに思っていたかもしれない。
授業で教師が、この「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」の意味を、どう説明したかも覚えていない。
私は「西洋の猿真似でザンギリ頭なんかにして、文明開化などと浮かれている世相を皮肉っている」みたいな感じに解釈していたと思う。もしかしたら教師は別の説明をしていたかもしれないが、それは覚えていない。
都々逸に興味を持つようになってから、このフレーズはこれだけで独立して作られたものではないことを知った。このフレーズの前に2つのフレーズがあり、全体で3つのフレーズで構成されていたのだ。
では、その3フレーズを並べてみてみよう。順番に古い時代から新しい時代への移り変わりも示している。並べて見やすいように「ザンギリ頭」も漢字で「散切頭」としておく。
半髪頭を 叩いてみれば 因循姑息の 音がする
総髪頭を 叩いてみれば 王政復古の 音がする
散切頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする
(はんぱつあたまを たたいてみれば いんじゅんこそくの おとがする)
(そうはつあたまを たたいてみれば おうせいふっこの おとがする)
(ざんぎりあたまを たたいてみれば ぶんめいかいかの おとがする)
半髪頭というのは、頭の半分の髪の毛を剃り、半分だけ髪を残して髷(まげ)を結ったヘアースタイルだ。つまり、半分を月代(さかやき)として剃り上げ、残った半分の髪だけで髷を結うもの。一般的にチョンマゲと言われる髪型のことである。半分だけ髪があるので半髪という。
総髪頭というのは、髪を剃らずにすべての髪で髷を結った髪型。こちらも文字通り総ての髪があるので総髪である。ちなみに全部剃るのは剃髪だ。
散切頭は、ご存じの通り髷を切り落として結わずにそのままにしている髪形である。
半髪頭(チョンマゲ)は、旧体制の象徴であり、江戸幕府の治世のことを喩えているのであろう。「因循姑息」とは、古い習慣や慣例に囚われ、改めずにその場しのぎに終始することである。
「姑息」という言葉はよく誤用されて「卑怯」のような意味で使われることがあるが、因循姑息で覚えておくと「その場しのぎ」の意味であることを間違えないようになるかもしれない。
つまり、最初のフレーズは「チョンマゲ頭などというものは、古いものに囚われて社会を改革しなかった江戸幕府のその場しのぎの時代の象徴だ」ということを述べているこのであろう。
総髪頭は、もともとは半髪頭が一般化する以前の日本の男性の髪型であり、また、半髪が一般化した後も、神官や学者がしていた髪型である。
だが、ここでいう総髪頭はその意味ではなく、幕末に勤王の志士の間で流行ったヘアースタイルのことを言っているのであろう。(もっとも佐幕派にも総髪はいたようだが)
ゆえに、2番目は「総髪頭は、社会改革に目覚めた勤王の志士らによって倒幕を実現し、成し遂げられた王政復古の象徴だ」というようなことを言っているのであろう。
散切頭は、明治維新後に髷を落として結わなくなった男性の髪型である。
要するに「散切り頭こそ、文明開化を進めるこれからの新しい世の中の象徴だ」という訴えであろう。
なんのことはない、新政府が打倒した旧幕藩体制を排撃し、明治政府を讃えるプロパガンダである。
同時に、明治四年に政府が発した断髪令を遂行していくためのスローガンだ。ザンギリ頭を推奨して広めるためのキャンペーンソングのようなものだろう。
この3つが並んでしまうと、私には都々逸だとは思えなくなってしまう。それぞれのフレーズが旧幕藩体制を強く批難して、新政府のプロパンガンダを行う、不粋な政治スローガンにしか読めなくなってしまうからだ。
ガッカリである。裏切られたような思いだ。
しかし「散切頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする」だけしか知らないうちは、そうは思わなかった。
「頭を叩いたら文明開化の音がする」という表現は滑稽で、諧謔的な印象を与えるものではないだろうか。
だから、西洋の猿真似でザンギリ頭になんかにして、文明開化などと浮かれている世相を風刺しているのかと思ってしまったのだ。まさか、それがまったく逆で、ザンギリ頭と文明開化をそのまま真っすぐに直球で推奨しているとは思いもしなかった。
唐突だが、仮に明治時代の初頭に現在のような漫才があったと思って想像してほしい。
現在の漫才なので、当然ながら、ボケとツッコミの二人によって成立する漫才である。舞台上に、ボケとツッコミの漫才師が立つ。ボケ役の方は髪型をザンギリ頭にしている。そして、なにかと西洋文化を讃えて西洋かぶれの言動をする。すると、それに応じた相方が、ボケ役のザンギリ頭を「ポン」と叩いて、「文明開化の音がするな」とツッコミを入れる。
明治初頭に日本が行った鹿鳴館などの猿真似の西洋化を揶揄して笑いにしているのである。そんな想像をすると、それを聴いた観客が手を叩いて笑う場面までが思い浮かんでくる。
「ザンギリ頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする」からは、そんな光景を思い浮かべてしまう。
だから、前2つがなければ、今でもこれを「いい都々逸だな」と、私は思ってしまうのだ。
さて、私が都々逸だと思ったり思えなかったりする個人的な感想は置いて、客観的にこの3つは都々逸なのか。
半髪頭を 叩いてみれば 因循姑息の 音がする
総髪頭を 叩いてみれば 王政復古の 音がする
散切頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする
都々逸だとするべきなのだろう。一般的にも、そう考えられているようだ。
ただし、これを作った人が都々逸だと考えていたかどうかは分からない。当時は都々逸と同じ音数律で歌やフレーズを作ることが流行っていた時代である。都々逸にしようとして作ったのか、流行りの音数律に合わせただけなのかは分からない。
私の推測ではあるが、先に挙げた交通スローガン
いちごはストップ みかんはちゅうい メロンは安全 さあ守ろう
を、作った人は都々逸を作ろうとしたわけではなく、語呂の良いフレーズにしようとしたら、都々逸に似た音数律になっただけだと思う。だから最後が6音なのだろう。
今は交通標語等において都々逸のような七七七五は少ないようだが、五七五が使われることはよくある。標語を俳句や川柳にしようとしているわけではなく、語呂のよい音数律だから五七五にしているだけである。
キャッチコピー等にも同様なものが見られる。
つまり、「ザンギリ頭を〜」の作者も同じような意図で作っただけの可能性もあるのではないだろうか。