都々逸と作詩

都々逸の学びと創作を中心に作詩関連や雑記、散歩写真など。

MENU

八十八夜の茶摘み歌 

本日は八十八夜である。

立春から数えて、もう八十八日も経ってしまったことになる。
八十八夜というと、私はすぐに唱歌の『茶摘み』を思い出す。
 

歌詩を引用しよう。 

  

夏も近づく 八十八夜 

野にも山にも 若葉が茂る 

あれに見えるは 茶摘みぢゃないか 

あかねだすきに 菅の笠 

  

日和つづきの 今日このごろを 

心のどかに 摘みつつ歌ふ 

摘めよ摘め摘め 摘まねばならぬ 

摘まにゃ日本の 茶にならぬ 

 

この歌は、作詩者も作曲者も不詳で「歌詩のおよそ半分は京都に伝わる茶摘み歌を流用して作られた」という説が有力だ。要するに民謡を元にしていることになる。
今に伝わる茶摘み歌の歌詩には、資料によって多少の違いがあるようだが、一つ挙げれば、
 

  

向こうに見えるは 茶摘みじゃないか 

あかねだすきに 菅の笠 

お茶を摘め摘め 摘まねばならぬ 

摘まにゃ日本の 茶にならぬ 

 

と、いうものがある。 

唱歌の『茶摘み』が、これを元にしていることがよく分かると思う。 

  

この歌詩は、都々逸と同じ音数で「甚句調」などと呼ばれる形式になっている。 言うまでもないが、当ブログの今回の眼目はここにある。

音数を見てみよう。

一行目と二行目を合わせて一首となる。

むこうに みえるは  ちゃつみじゃ ないか 
あかね だすきに  すげのかさ 

(4・4)(4・3) 
(3・4)(5) 

  

同じく、三行目と四行目で一首である。

おちゃを つめつめ  つまねば ならぬ 
つまにゃ にほんの  ちゃにならぬ 

(3・4)(4・3) 
(3・4)(5) 

  

一行目と二行目ももちろん良い文句だが、三行目と四行目は非常に調子がよく、色々な替え歌を容易に作り出せる便利な歌詩だ。 

さっそく作ってみる。 

  

花よ咲けさけ 咲かねばならぬ 

咲かにゃ日本の 春は来ぬ 

  

雨よ降れふれ 降らねばならぬ 

降らにゃ日本の 稲成らぬ 

  

月よ出よでよ 出(い)でねばならぬ 

出ねば月見に なりはせぬ 

  

星よ降れふれ 降らねばならぬ 

降らにゃロマンス 生まれない

  

風よ吹けふけ 吹かねばならぬ 

吹かにゃ木の葉も 舞い散れぬ 

  

とりあえず自然現象をテーマに春夏秋冬の替え歌を作ってみた。 

  

これを「酒」で作ると、 

  

酒は飲めのめ 飲まねばならぬ 

飲まにゃ日本の 夜は明けぬ 

  

なんだか『黒田節』と、宴会で気勢を上げる幕末の志士の意気込みが混じり合ったようなものになってしまった。 

ならば、本家の『黒田節』の一節を引用すると、 

  

酒は飲めのめ 飲むならば 

日の本一の この槍を 

飲みとるほどに 飲むならば 

これぞまことの 黒田武士 

 

で、七五調となっている。つまり「今様」の形式である。そのため『黒田節』は、もともとは『筑前今様』と呼ばれたようだ。 

  

そこで、最後に七五調の今様『黒田節』を、無理矢理に都々逸と同じ七七七五調に変えてみる。 

  

酒は飲めのめ 飲まねばならぬ 

飲んで取ろうぞ 日本号 

見事飲み取り 誉を得たる 

これぞ誠の 黒田武士

 

ちなみに「日本号」は槍の名前である。「にほんごう」と読まれることも「ひのもとごう」と読まれることもあるが、ここでは音数の関係から「にほんごう」と読んでいただきたい。

もとは皇室所有の槍であったが、正親町天皇から室町幕府十五代将軍の足利義昭に下賜される。その後、織田信長に渡り、さらに豊臣秀吉、そして福島正則に与えられた。
ある時、黒田官兵衛の家臣の母里友信が主君の使いで福島正則の屋敷を訪れると、正則から大盃に酒をなみなみと注がれ「この酒を飲み干したら、何でも望む物をやろう」と告げられる。
すると友信は、その酒を一気に飲み干し「日本号をいただきたい」と言った。正則は内心では激しく後悔したが「武士に二言はない」としてこの槍を与えた。

と、いう有名な逸話から『黒田節』の一節は作られている。

この話から「日本号」は、「呑(飲)み取りの槍」と呼ばれることもある。
(上記の説明は、かなり端折ったものになっているので、詳しくは調べていただけるとありがたい)

以上、GWの只中八十八夜の日に、朝からお茶ではなく「おちゃけ飲めのめ飲まねばならぬ、飲まにゃコロナも収まらぬ」などと、飲んで酔って歌い、酔っ払ったあげくに書いた戯言である。