都々逸と作詩

都々逸の学びと創作を中心に作詩関連や雑記、散歩写真など。

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湯島天神梅まつりと都々逸

東京都台東区湯島天神、正確には湯島天満宮では「第66回梅まつり」を令和5年2月8日から3月8日まで開催している。

昨日2月11日に行ってきたが、まだ咲いてない木が多かった。境内に梅の花が咲き乱れるのはもう少し先だろう。ただし多くの品種が植えられているため早咲きの梅の中にはほぼ満開のものもあった。

湯島天神の境内に咲く白梅の花

湯島の白梅

 

 

都々逸之碑

 

さて、湯島天神の本殿の東には「都々逸之碑」なるものが立っている。下の写真がそれだ。

都々逸之碑

上部に大きく「都々逸之碑」と彫ってあり、何やら文章が刻まれ、一番下には都々逸の吟社の名前が並んでいる。吟社というのは都々逸の愛好団体と考えればいいだろう。

写真では読みにくいので書き出す。原文に改行や句読点はないが、読みやすいよう私の判断で加えている。

 

都々逸之碑

都々逸は日本語の優雅さ、言葉の綾、言回しの妙などを巧みに用いて人生の機微を二十六字で綴る大衆の詩である。
古くより黒岩涙香平山蘆江長谷川伸らの先覚者により普及し、われわれとその流れの中で研鑽を重ねて来た。
短歌、俳句と並ぶ三大詩型の伝統を守り、更なる向上と発展を願い、各吟社協賛の下、詩歌の神の在すこの地に碑を建立する。

 平成二十年十二月吉日 世話人 谷口安閑坊 吉住義之助

 

東京 しぐれ吟社

茨城 花野吟社

東京 萬友会

岐阜 かがり吟社

東京 遊又会

長野 白樺吟社

東京 眺牛会

愛知 千鳥吟社

京都 おむろ吟社  

東京 老友新聞社

 

碑文を読んで、なるほどと思ったのは、湯島天神に都々逸之碑を建立した理由である。詩歌(しいか)の神様とされる菅原道真を祀っているからなのだ。最後に「~詩歌の神の在(ましま)すこの地に碑を建立する」と書いてある。

 

ご存じの通り、全国に数多くある天満宮菅原道真を祀っている神社である。天満宮あるいは天神様と呼ばれるのは、道真が死後に送られた神号の「天満大自在天神」によるとされる。

天満宮が学問の神様となり、今でも多くの受験生が合格祈願に参拝するのは、祀られている菅原道真が優れた学者だったからだ。

 

道真は平安時代の人、当時の学問といえば漢学である。その漢学の学者の家系に生まれた道真は優れた才能を発揮した。詩歌にも長けていて、漢学者なので最も得意なのは漢詩であろうと思われるが、和歌も言うまでもなく素晴らしい。そのため碑文にもあるように、詩歌の神様とも呼ばれるのだろう。

梅を詠んだ道真の有名な和歌は何と言ってもこれだ。感動で泣きそうになるくらいの出来栄えである。

東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな

 

碑文について思う

 

では碑文を最初から読んでみよう。

「都々逸は日本語の優雅さ、言葉の綾、言回しの妙などを巧みに用いて人生の機微を二十六字で綴る大衆の詩である」

至極同意だ。特に「大衆の詩である」は、まったくもってその通り。短歌や俳句、特に短歌、いやいや俳句もそうだが、有知識層の高尚な御趣味におなりになられ遊ばされるきらいがある。しかし都々逸はそうではないし、そうあってはならない。大衆の詩でなければならない。ごもっとも。

 

問題は次である。

「古くより黒岩涙香平山蘆江長谷川伸らの先覚者により普及し、われわれとその流れの中で研鑽を重ねて来た

まず名前があげられている3人について、簡単に紹介しておこう。お三方ともそれぞれ多くの偉業を成し遂げているため、人物の説明を始めると長くなってしまう。今回はごくごく短い紹介ですませておく。

黒岩涙香は幕末から大正の人で、作家でありジャーナリストであり思想家でもある。
平山蘆江は明治中期から昭和中期の人で、新聞記者の後に作家や随筆家として活躍した。
長谷川伸も明治中期から昭和中期の人で、やはり新聞記者の後に小説家や劇作家として活躍した。

もちろん都々逸に関して3人とも絶大な功績を残したことは言うまでもないだろう。この碑文に、特に選ばれた3人として名前が刻まれているのだから。
それぞれの功績については長くなるのでここには書かない。

 

しかし、である。私はこれを見て正直なところ驚いた黒岩涙香平山蘆江長谷川伸の名を先覚者として挙げておきながら、それ以前の都々逸については一切触れていないのである。

お三方とも都々逸の隆盛に大いに寄与したことは、ものの本によって私も知っているし、尊敬すべき方々と考えていることに違いはない。
しかし都々逸は、黒岩涙香平山蘆江長谷川伸らの前に長い歴史があるではないか。

どどいつ節や、都々逸坊扇歌や、お座敷での都々逸遊び、芸能としての都々逸はどこへいってしまったのか。


私は考えた。なぜそれらについて一切触れていないのか。
そして一つの仮説が浮かんだ。

「ここには、この「都々逸之碑」の建立に協賛した各吟社の、都々逸に対する考えや主義主張が込めれれているのではないだろうか」と。

 

私は今まで都々逸および都々逸の歴史について色々と調べても何か腑に落ちないことがあった。どうにもモヤモヤした謎の部分があったのだが、その謎を解く鍵をこの仮説から見つけられるような気がしてきた。

今はまだよく説明できないが、いずれ文章としてまとめてみたい。
かつて都々逸は今の人たちが信じられないくらい大いに流行した。なぜ大流行することができたのか。そして、大いに流行した都々逸がどうして衰退し、今のようになってしまったのか。
その理由が、まだ何となくだが、ぼんやりと見えかけてきたような気がしている。

 

では碑文の残りについて。

「短歌、俳句と並ぶ三大詩型の伝統を守り、更なる向上と発展を願い、各吟社協賛の下、詩歌の神の在すこの地に碑を建立する」

誠に残念なことだが、都々逸が「短歌、俳句と並ぶ三大詩型の伝統を守り」という状況に今はまったくなっていない。短歌と俳句は広く知られているが、都々逸のことなど知らない人が圧倒的に多いのが実情である。

もちろん私も「向上と発展を願って」いる。しかし「短歌、俳句と並ぶ三大詩型」などと言ったら、一緒にされた短歌や俳句がびっくりして「勝手に三大詩型の括りに入れるなよ」と言ってきそうではないか……

 

 

湯島の白梅

 

湯島天神の境内には都々逸の碑の他にも様々な石碑がある。その中の一つ「新派碑」。

新派碑

『新派』碑 由来

上の写真の「『新派』碑 由来」は長いので書き出さないが、文中に
「新派とは深い縁で結ばれております当天神様~」
と書かれている。

 

劇団の「新派」と湯島天神の「深い縁」というのは、「お蔦主税(おつた・ちから)」で有名な、泉鏡花原作の『婦系図(おんなけいず)』をもとにした新派の舞台に、湯島天神が登場することであろう。
婦系図』というタイトルを知らなくても、その舞台で特に有名なこのセリフを言われれば、思い出す人もいるのではないだろうか。

お蔦
「~切れるの、別れるのってそんなことはね、芸者の時にいうことよ。今の私には、死ねといって下さい。」

「湯島境内の場」でのセリフだ。

 

これに関連した事柄は、やはり境内にある「東京2020パリンピック聖火リレー」の説明板にもある。

東京2020パリンピック聖火リレー」説明板

上の写真の下部「瓦斯灯」のところだ。

「特に湯島天満宮の瓦斯灯は、泉鏡花の小説『婦系図』を主題にした楽曲『湯島の白梅』にも登場し、全国に広く知られています。」

と、ある。瓦斯灯についての説明文なのでこうした表記になるが、『湯島の白梅』という歌はそれほど有名であるという前提でのことだ。当ブログ「都々逸と作詩」にしてみれば名作『湯島の白梅』の歌詩からも大いに学ばなければならない。

 

引用はしないが『湯島の白梅』の歌詩へのオマージュと都々逸への思いを込めて私も、

湯島通れば天神様に
都々逸聴かせる心意気

を、持ちたいものである。

 

どうぞ詩歌の神様のご加護がありますようにpastedGraphic.png

湯島の白梅

湯島の白梅