都々逸と作詩

都々逸の学びと創作を中心に作詩関連や雑記、散歩写真など。

MENU

今週のお題「自分に贈りたいもの」(都々逸の創作)

今週のお題「自分に贈りたいもの」

 

健全な
心と体と
正しい暮らし
今すぐ自分に
贈りたい

 

ケンゼンナ
ココロト カラダト
タダシイ クラシ
イマスグ ジブンニ
オクリタイ

眠い夢(雑記)

眠くなる夢を見た。 
こんな夢だ。 

 

友人が我が家に遊びに来ていて、急に、 
「眠くなった、寝かせてくれ」 
と、言いだしたのである。 

 

「ああ、寝るのか、寝具の用意がないが」 
私がそう言うと、友人は少し不機嫌な表情をみせたが、 
「それならいいよ、眠いんだ、寝るよ」 
と、そのまま寝転がり眠りに入ってしまった。 

 

すると、どうしたわけか私も眠くなってきた、どうにも眠たくてたまらない。 
「寝よう、眠りに落ちよう」 
意識を失いそうなくらい眠くなった。夢の中で意識を失いそうになったわけであるが、それは眠りに落ちるのと同じことで、眠りの中で眠りに落ちそうになったのである。 

 

そこで目が覚めた。 
睡眠中に見ている夢の中で睡魔に襲われるとは、どれだけ眠かったのか、ということだ。 

寝ても寝ても、もっと寝たいほど眠かったのだろうか。その時の睡眠状態ではもの足りないくらい眠かったのだろうか。 

 

夢はレム睡眠時に見ると言われる。
最近ではノンレム睡眠時でも夢を見ることが分かってきたようだが、浅い睡眠がレム睡眠で、深い睡眠がノンレム睡眠であるという理解で、今のところは間違いないようである。
 

 

それを前提に、この夢を見たわけを考えてみる。 
「眠くなる夢」を見たのはレム睡眠時であったので、眠りが浅いため、もっと深いノンレム睡眠を私の脳が欲した結果だったのかもしれない。 

 

「眠いんだから、さっさとレム睡眠を止めて、ノンレム睡眠に入れよ」と、脳が命じたのではないか。 
いったい誰に、いや何に、脳はそう命じたのか? 
脳は脳自身に命じたのか。 

それとも、私の脳を支配する何か人知の及ばない不可思議なモノに対して命じた、いや願ったのだろうか。 

 

いや、でもね、
その後すぐに目が覚めて、すっかり眠気もなくなり、すんなり起床したので、本当は眠くなかったのかもしれないんだよね、実際のところ。

しかし、それなら、どうして眠い夢をみたのだろうか……

何も出来ない(都々逸の創作)

出来ないヤレない
理由を見つけ
何もしないで
死にましょう

 

デキネー ヤレネー
リユウヲ ツケテ
ナニモ シネーデ
シニマショー

今週のお題「現時点での今年の漢字」龘(都々逸の創作)

今週のお題「現時点での今年の漢字

 

いまのところは

龘の字あげる

書いて欲しいの

清水で

 

イマノ トコロワ

トウノジ アゲル

カイテ ホシイノ

キヨミズデ

二日酔い(都々逸の創作)

迎え酒

人はだませて

だませぬものは

コロナ予防の

検温器

 

ムカエザケ

ヒトワ ダマセテ

ダマセン モノワ

コロナ ヨボーノ

ケンオンキ

今週のお題「わたしの実家」(都々逸の創作)

今週のお題「わたしの実家」

 

実家に帰るが

離縁の意味と

通じぬわけだよ

別居婚

 

ジッカニ カエルガ

リエンノ イミト

ツウジヌ ワケダヨ

ベッキョコン

『演歌の明治大正史』(雑記)

『演歌の明治大正史』という本の表紙

演歌の明治大正史

アマゾンで『演歌の明治大正史』という本を買った。正確に記せば、アマゾンを通して古書店から古本で買った。

ここに言う演歌とは演説の歌、いわゆる演説歌をルーツとする歌のことである。以前から私は興味があり限られた範囲ではあるがよく聴き、よく親しんできた。ただ詳しい成り立ちや変遷は知らない。そこで勉強のためにこの本を購入したわけである。

私はそうした歌のことを総称して「明治大正演歌」と呼んでいるが、正しい呼び方かどうかもわからない。明治演歌、大正演歌と区別して呼ばれる場合もあるし、一緒くたに壮士節や書生節と呼ばれることもあるが、厳密にはそれぞれ別のジャンルに区別するようでもある。

そうしたことも、この本を読めば明らかになるであろう。楽しみだ。

目次の冒頭を載せておこう。

『演歌の明治大正史』目次

奥付から著者等について抜書きもしておく。

書名:添田唖蝉坊・知道著作集4『演歌の明治大正史』

著者:添田知道

昭和五十七年十一月三十日初版発行

発行所:株式会社 刀水書房

 

ただ少し気になることもあった。この本は文教大学の図書館が所蔵していたもののようだ。

『演歌の明治大正史』背表紙

図書館の所蔵図書のナンバリングのシールが貼られている。

少し気になるというのは「図書館からの盗品ではないだろうか」との疑いである。まさかとは思うが、シールが貼ってあるので気になった。もっとも、シールを剥がすとかえって見苦しい状態になる恐れもある。それで貼りっぱなしで売るのが当たり前なのかもしれない。

『演歌の明治大正史』裏表紙