都々逸と作詩

都々逸の学びと創作を中心に作詩関連や雑記、散歩写真など。

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下駄の前坪(雑記)

 昨日のことだが、サンダルを履いて散歩中に、右足の人差し指(足の指で人は差さないけれども)の付け根あたりに痛みを感じた。

 マメでもできたかと思い、脱いでみると、なんとサンダルの底に穴が空いていた。穴のせいで、足の裏のその部分が地面と直接あたって擦れるから痛かったのだ。

 つまり、私は底がすり減って穴が空くまで同じサンダルで歩き続けたわけだ。

 いったいいつの間に、そんなにすり減ったのだろう。どれくらいの期間に渡って履き続けたサンダルなのかは覚えていない。まったく気にもしていなかった。

 

 さて、穴に気づいてから、さらに歩いて帰宅するまでが難儀だった。穴の部分が地面に着くと痛いので、そこを接地させないように足をひねって歩いた。足の内側を地面に着けてみたり、外側を着けたり、爪先立ちになったり、カカトで歩いみたり。

 私のその歩き方を見た人たちは「あいつは何をやっているんだ?」と、不思議に思ったことだろう。中には「何かの踊りのステップを踏んでいるんだな」と、思いった人もきっといるはずだ。いや、そんな人はいるわけがない。

 

 それにしても、穴が空くまでサンダルを履き続けるような人が私の他にもいるのだろうか?

 以前にも私は、前歯がほとんどすり減ってなくなるまで下駄を履き続けたことがある。前歯がほとんどなくなると、足を乗せている台、つまり板の先頭が地面とすれて減るようになる。それでも同じ下駄を履き続けた。
すると薄くなった板が歩行の衝撃に耐えられなくなったのか、終には下駄そのものが縦に真っ二つに割れてしまった。

 下駄には鼻緒を取り付ける穴が3箇所空いているが、前方の親指と人差し指に挟まれる穴は「前坪」とか「先坪」と呼ばれる。その穴があるため、先頭に直接に衝撃が加わると下駄は弱いのだと思う。

 

 私はサンダルに空いた穴を見て、その位置が下駄であれば前坪の穴と同じくらいの所にあることを確認した。なるほど、歩きにおける履物への力の加わり方や、下駄の構造の合理性について納得できたうように思う。