都々逸と作詩

都々逸の学びと創作を中心に作詩関連や雑記、散歩写真など。

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睡眠薬をモグラの穴に入れる夢を見た。

睡眠薬モグラの穴に入れる夢を見た。

足下にモグラの穴が幾つかあり、そこへ私は片っ端から錠剤の睡眠薬を一つずつ入れていたのである。

そんなことをしている理由は分からないが、そうしなければならないというように私を突き動かすものがあり、次からつぎへと睡眠薬を投入していた。

 

すると、ある穴の中に何か動くものが見えた。
きっとモグラが出てくるのだろうと、私はその穴を見つめながら待った。

出てきた。
しかし、出てきたのはモグラではなく蟹であった。
「この穴は蟹の住み家だったのか」と、すぐに思った。

こんな山の中にいる蟹なら、きっと沢蟹であろう。

そう、「ここは山の中なのだ」と、気づくと同時に「これは沢蟹であろう」との考えが私に生じたのである。いや、逆だったかもしれない。「これは沢蟹であろう」との考えが生じた後で、「ここは山の中なのだ」と気づいたような気もする。

 

物事の順序、つまり原因と結果の因果関係の順序などどいうものは曖昧なものである。

時間の流れに支配された現実と呼ばれる世界ので出来事であれば、その順序も揺るぎないものかもしれない。しかし、それは、現実という限定された場においてのみ当てはまるものであって、いつどこでも通用すると思ったら大間違いである。

 

さて、それはともかく、沢蟹の発見によって、私は「この近くに沢があり、蟹はその沢から横歩きをしてきたに違いない」との推測を行った。

そのため、私はその沢を探して山の中を彷徨うことになってしまったのである。どうして蟹の発見にようって、そうなったのかは分からない。

決して喉が渇いて沢の水を求めていたわけではない。だが、沢を求めて歩き続けるうちに、喉が渇いていると思い込むようになっていったように思う。

 

いや、それも逆だったかもしれない。喉が渇いていたため、沢蟹を発見して沢を求めるという夢の筋道ができたのかもしれないのだ。その方が人間の摂理にかなっているだろう。

 

しかしながら、喉の渇きもすぐに消え去ったようである。そればかりか、歩き続けるうちに何を求めて彷徨っているのかさえ忘れてしまっていたようだ。
私は既にどこへ向かうともなしに進み続けていた。

目的を見失いながらも、立ち止まって省みることをせずに、前か後ろかも分からない方向へ、ただただ移動し続けているだけの私だったように思う。