都々逸と作詩

都々逸の学びと創作を中心に作詩関連や雑記、散歩写真など。

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思い出せない友人と過ごした夏の夢

目覚めてから思えば、そんな友人は私にはいないのだが、夢の中では仲の良い友人と一緒に夏を過ごしていた。
夏の間の幾日も続く長い夢だった。

 

そこは、ちょっと古めかしい日本の田舎の集落で、山里のような地域だった。
実際に行ったことがある場所と映画やドラマ、あるいはアニメで見た場所が融合したような感じの所なのだろうが、夢を見ている最中の私にとってはもちろん実在の場所である。

 

何をして過ごしていたかは、よく思い出せない。
友人と一緒に、よく晴れた日に川で魚釣りをしたり、青空と入道雲の下で畦道を散歩したり、夜には花火で遊んだような気がする。

しかしそういった、いかにもありそうな夏の思い出というか、夏の思い出のデフォルト設定は、思い出そうとしている今の私の脳が作り出しているような気もする。
具体的なことは何も覚えていないのかもしれない。

 

本当は、もっと特別な経験をしたような感じがある。
とても困ったり、飛び上がるほど嬉しかったり、かなり気持ちよかったりしたはずだ。
真夏の山里の小さな集落で奇想天外な事件が起き、巻き込まれて天手古舞いしたような気もする。
そんなことでもなければ、夢を見たことさえ覚えていないのではないだろうか。

 

そうだ、都会の裏街で悪党どもと戦い、友人と協力して何とかやっつけた体験もしたんだ。

舞台が山里から都会へ急に飛んでいるわけだが、夢の中では辻褄が合っていた。
田舎の集落の中に都会の裏街が存在していたのか、すぐ隣り合った所に山里と裏街あったのか、どちらにしても夢の中では平気でそういう世界が存在するものなのだろう。
悪党退治のシーンはテレビゲームの中の光景のようだった。
だが、この記憶もまた今になって私の脳によって作り出されたものかもしれない。

 

いずれにしても、友人と夏を過ごしていたことだけは間違いない。

友人の年齢は何となく高校生くらいで、自分も同じ年代だったと思う。
しかし、どんな友人だったのか、風貌はまったく思い出せない。

 

ここまで思い出しながら文章にしてみて、ふと思った。その友人は自分自身だったような気もする。

自分自身を俯瞰しながら見ていたひと夏の長い夢だったようにも思うのだ。
兎に角もの凄く楽しかったような感覚が記憶には残っている。