都々逸と作詩

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三千世界の鴉を殺し主と朝寝がしてみたい(有名都々逸に学ぶ その一)[3/3]

三千世界の鴉を殺し主と朝寝がしてみたい(有名都々逸に学ぶ その一)[2/3] からの続き

 

 

難波新地と初代三遊亭圓右

 

都々逸[三千世界のカラスを殺し主と朝寝がしたみたい]と、落語『三枚起請』は、どちらが先に作られたのであろうか。

 

まず、都々逸[三千世界〜]が作られた時期だが、仮に高杉晋作の作という説に従えば、作られたのは幕末ということになる。しかも、高杉は二十七歳で亡くなっているため、時期はかなり限定される。この都々逸が遊廓で作られたとすれば、そうした遊びをするようになる年齢から二十七歳までの間ということになる。

別説の久坂玄瑞説でも同様である。維新の三傑の一人である桂小五郎説をとった場合は、少し期間が延びる。桂小五郎は、木戸孝允と名を変えて侯爵に叙され、新政府の要職を務め、明治十年まで生きているため明治時代の可能性も出てくる。

本当に高杉晋作によって作られたものかどうかは分からない。久坂玄瑞木戸孝允かどうかも分からない。しかし、そうした説が有名になるところから推定すると、幕末か、そこからさほど離れていない時期に作られたものということになるだろう。

 

一方、落語の『三枚起請』はどうであろうか。調べて分かったのは、『三枚起請』は、もとは上方落語で、難波新地のお茶屋を舞台にした噺であったことだ。

 

難波新地というのは大阪の南地五花街の一つである。南地五花街は江戸時代から発展し、明治以後に大阪最大の花街となったようである。しかし、それが分かっても『三枚起請』がいつできたのかは分からない。

江戸時代かもしれないし、明治になってからかもしれない。江戸時代を舞台にした噺は、維新後にも作られているので、『三枚起請』も明治に作られたとしても不思議ではない。

 

次に江戸落語としての『三枚起請』であるが、これは舞台を江戸の吉原遊廓に変えて、初代三遊亭圓右が上方から江戸落語に持ち込んだものである。

初代三遊亭圓右は、万延元年(1860年)に江戸は本郷に生まれ、 大正十三年(1924年)に没した。ちなみに、初代三遊亭圓右は、あの三遊亭圓朝名跡を襲名しながら、その後すぐに亡くなってしまったため、幻の二代目圓朝とも呼ばれる。

もちろん、初代三遊亭圓右は東京の落語家であるが、明治三十年くらいから上方でも活動していた時期があるようだ。推測だが、『三枚起請』を江戸落語に持ち込んだのは、その頃か、その後ではないだろうか。

 

私が少し調べて分かったのは以上である。大したことは分かっていない。上方で『三枚起請』の噺が作られた時期が特定できなかったのだ。そのため、『三枚起請』と[三千世界〜]のどちらが先に作られたのか分からない。

 

三枚起請』の噺が作られた時に、既に[三千世界〜]の都々逸が世に知れ渡っていたかどうかは、私の調べでは不明である。

だが、時代的に考えて、初代三遊亭圓右が『三枚起請』を江戸落語に持ち込んだ時に、圓右が都々逸[三千世界〜]を知っていたのはほぼ間違いないと思われる。そのため、圓右によって『三枚起請』が江戸落語に持ち込まれる時に、この都々逸が利用されはじめた可能性はあると思う。しかし実際のところは分からない。

 

つまり、残念ながら私の拙い調べでは何も確定的なことは分からなかった。もし、ご存じの方がいたら教えていただけると誠にありがたい。

 

 

三界に家有り

 

では、これまで述べてきたことをすべて踏まえて、この都々逸、

三千世界の カラスを殺し
主と朝寝が してみたい

を、私の憶測や想像をまじえて改めて解釈したい。

 

まず、冒頭の「三千世界」は何を意味しているのか。この言葉は本来は仏教用語であり、十億の世界(十億の小世界)であることは説明した通りだ。一人の仏で教化する世界の範囲であるとも述べた。

「三千世界」が、とてつもなく多い数の世界を表していることもその通りで間違いなく、都々逸の文句として、そこにも意味はある。しかし、実は私はそれだけでなく「仏教用語」であるという点にこそ、さらに重要な意味を見出したいと考えている。

 

仏が教化する世界ということは、教化が必要な世界ということだ。業や煩悩に支配され、輪廻転生を繰り返す衆生・凡夫が暮らす世界ということになる。

衆生というのは煩悩や迷いの世界にいる生類全般のことで、凡夫とは煩悩に囚われて迷いから抜け出られない者、つまり衆生も凡夫も我々のことである。

 

もう少し詳しく説明すると、三千世界を構成する小世界の一つに我々はいるわけだが、この小世界はさらに、欲界・色界・無色界の三つの世界でできている。三つ合わせて「三界」と呼ばれる。

そして衆生・凡夫は、煩悩と業に支配されていることによって、生死を限りなく繰り返しながら、欲界・色界・無色界の三界の中を終わりなく行ったり来たりし続ける。これが輪廻転生である。

 

仏教と一口に言っても、宗派の違いなどにより色々な考え方があるだろうが、輪廻転生から解き放たれることを「解脱」と言い、それを成し遂げるのが仏教の目指すものである。言い換えれば、解脱するために煩悩と業を消滅させることを説くのが仏教である。

 

つまり、この都々逸の「三千世界」は、ただ広い世界のことを表現しているだけではなく、煩悩まみれの衆生が暮らす苦しみに満ちた(仏教的に言えば四苦八苦)の世界のことも意味していると私は考えた。

煩悩に支配されて輪廻転生から抜け出せない凡夫どもの暮らす十億の世界が、この都々逸に唄われる「三千世界」なのではないだろうか。

 

そして、このことが、次の「カラスを殺し」が何を意味するのか、という問題に大きく関係してくると考える。

 

 

おからすさん

 

この都々逸の作者がカラスを殺したいのは、うるさくて朝寝の邪魔になるからではない。遊女が色々な客と交わした起請文を反故にするという意味である。なぜなら「三千世界」という文句の背景には、上記のような仏教的な意味があるからだ。

 

遊廓の起請文は、色欲に惑わされた客と、遊女の金欲との間で取り交わされるものだ。つまり、遊女と客が、お互いの欲と欲で交わした煩悩の書き写しのようなものである。煩悩に支配された衆生が輪廻転生をくり返しながら暮らす世俗世界のしきたりに沿って、欲望と欲望の取り決め、約束事が書かれているのが起請文である。

 

かつて、その起請文が遊廓で取り交わされることがよくあった。そして、その起請文の見た目の特徴はカラス文字が書かれていることであり、「おからすさん」と呼ばれることもあった。さらに「三千世界」というのは、煩悩に支配された凡夫の暮らす世界のことである。

これらのことが分かっていれば「カラスを殺し」という文句の意味は、その遊郭で交わされた起請文を反故にすること、つまり誓約を破ることだと容易に導き出せるはずだ。 

 

さらに「カラスを殺し」には、起請文を破るだけではなく、その延長として「遊女であることをやめたい」という意味も含まれていることが推察される。ここで言う「カラス」は単に起請文というだけでなく「私を縛っている三界の欲で出来た誓約」であり「郭の掟」でもある。

「殺し」という文句には、そういったものから「解き放たれて自由になりたい」という思いも込も込められていると考えられるからだ。

遊女という仕事で金を稼ぐために、欲望と欲望で取り交わされる誓約書に振り回されなければならないみじめな自分を解放したい。そして自分の気持ちに正直になりたいという願いを、この都々逸は唄っているのであろう。

 

もちろん、郭の掟を破るということになれば、それ相応の責め、仕置きや罰は覚悟しなければならないし、現実的には不可能であることは分かっている。とどのつまりは「現世で一緒になるのは無理だとあきらめ、せめて来世で結ばれよう」と、心中に行き着くしかないのかもしれない。

 

 

添い寝

 

では「主と朝寝がしてみたい」は、どういった意味だろうか。結論から述べれば、これは「好きなあなたと所帯を持って一緒に暮らしたい」つまり「夫婦になりたい」ということを唄っていると考えられる。ただし、[1/3]で紹介した郭の決まり事とは、別の理由からである。

 

つまり、

遊廓では客を朝早く(卯の刻・だいたい朝六時)に帰す決まりになっていたので、客と遊女が一緒にのんびり朝寝することはできないはずだ、という指摘もある。 

この指摘に忠実に解釈すると、朝寝をするには郭を出なければならなくなる。つまり、一緒に朝寝ができるのは、遊女の年季が明けて郭を出て、晴れて二人が夫婦になってからになる。 

だから、この「朝寝がしてみたい」には、「年季が明けたら好きな人(主)と所帯を持ちたい」という想いが込められているということになる。

 

と、いう説に基づくものではなく、まったく別の理由からそう解釈する。

 

その理由は何かと言えば、この都々逸の作者がしたいのは「朝寝」ではないから、ということである。私は「朝寝がしてみたい」という文句に疑問を持っており、本来の文句は「朝寝」ではないと考えている。これも既に述べているが、そもそもこの都々逸は「朝寝のことなど唄っていない」のである。

 

そして、これもまた[1/3]の初めの方で述べたことだが、この都々逸には別の表現で伝わっているものがある。「朝寝」のところが「添い寝」になっているものだ。私はその「添い寝」の方こそが、この都々逸の本来の文句ではないかと考えている。

つまり、この都々逸の正しい文句は、

三千世界の カラスを殺し
主と添い寝が してみたい

の方ではないだろうか。

 

この都々逸の作者は「添い寝がしてみたい」という文句で、好きな人と所帯を持って一緒に暮らしたいということを表現したのだと思う。

 

こんな都々逸ある。

主によう似た やや子を産んで
川という字に 寝てみたい

 

「三千世界〜」の都々逸も、これと類似の遊女の心情を唄っているのではないだろうか。重い借金を背負い、長い年季奉公に縛られた身の上では郭を出ることはできず、愛する人との暮らしは叶わぬ夢なのだ。それでも、それを夢見て唄った都々逸であろう。

 

本来は朝寝のことなど一切まったく唄っていなかった。遊女をやめて、本当に好きな「主」と所帯を持って一緒に暮らしたいという気持を唄っていたのである。だから、もともとは「朝寝」という文句は使われていなかったと考える。夫婦になりたいという気持を表現するなら「朝寝がしたい」よりも、「添い寝がしたい」の方が相応しいからである。

 

「朝寝」という表現で唄ってしまうと、「遊郭で一緒に夜を過ごして、朝になってもそのまま一緒に寝ていたい」と、いうような意味に解釈されやすくなってしまう。

さらに、「カラスを殺し」も、次に「朝寝がしてみたい」が続いてしまうと、「朝寝をするのにカラスが鳴いてうるさくて邪魔だから」とか、「朝が来たと相手に分からないようにカラスを殺す」などの解釈が生まれてしまう。

しかし、「添い寝」であれば、そうした解釈は成り立たないばかりか、考え出される余地もない。起請文を破るという意味の他に解釈のしようがなくなるのだ。

 

そして何よりも「添い寝がしてみたい」の方が、「朝寝がしてみたい」より、幸せな家庭を築きたいという思いがよく感じられる表現となる。「他の客との誓約なんてぜんぶ無視して、好きなあなたと一緒になりたい」のである。

 

では、どうして、いつから、添い寝が朝寝に変わってしまったのだろうか。最も疑わしいのは、この都々逸が落語『三枚起請』のサゲに使われるようになったことであり、そのために、だんだんと「添い寝」が「朝寝」に変わって唄われるようになっていったのではないだろうか。そんな仮説を私は立てている。

ただし、落語『三枚起請』で、この都々逸が使われ始めた時に、すぐに「添い寝」だったものを「朝寝」に変えたとは限らない。「起請文を破るとカラスが死ぬ」ことだけを説明するために使っていたとしたら、初期は「添い寝」のまま都々逸を引用したのかもしれない。しかし、だんだんと噺の内容に影響されて「朝寝」に変わっていったのかもしれない。そんな変化のしかたもあり得るように思う。

 

いずれにしても、ある時期から落語では「添い寝がしてみたい」に取って代わって「朝寝がしてみたい」が使われるようになっていった。やがて、その影響を受け、落語以外でも「朝寝がしてみたい」の文句の方が広く世間一般に浸透していったのではないだろうか。そして前述したように、この都々逸が唄っている内容の解釈も「朝寝をするためにカラスを殺す」へと変化していったのではないだろうか。

 

 

卵の四角と遊女の誠

 

改めて、私の解釈によって、この都々逸の意味をわかりやすく書くと次のようになる。

 

煩悩にまみれた十億もの世界の、 

あらゆるしがらみや、借金や、

私を縛っている誓約を、 

ことごとくすべて打ち捨てて、 

たとえこの身がどうなろうとも、 

本当に好きなあなたと一緒になりたいんだよ。

 

 

さて、ここまで、私はこの都々逸から色々と学ばせていただいた。

そこで、この学びを生かし、自作の都々逸をもって本稿を締めくくりたい。

さんざん世間に
浮き名を流し
今は添い寝の
睦まじさ

 

そして、もし私がお気に入りの遊女から「三千世界のカラスを殺し主と添い寝がしてみたい」という都々逸を唄ってもらったら、こう唄って返したい。

添い遂げて
カラス供養の
弔い旅に
十万億土
巡りたい

「いやいや、『もしも』にしても、お前がそんなにモテるわけがなく、お気に入りの遊女から、そんな都々逸をもらえることなど有りえない話だ」 
と、皆さんは思われるかもしれない。

しかし、どんな嘘をついてでも客をその気にさせ、自分の所に通わせて金を稼ぐのが遊女というものであることは、既に述べた通りである。